奈良市消防局長、消防正監の野口隆身さん(61)が3月31日をもって退職する。退職を前に消防への熱い思いを聞いた。
後輩たちに思いを託し、きょう消防生活にピリオドを打つ野口隆身、奈良市消防局長
生まれも育ちも奈良市。高校卒業後には大阪の信用金庫に就職し営業活動の日々を送った。知らない土地でノルマに追われる日々。3年の勤務を経て、大手企業の下請け工場でアルバイト生活を送っていた。
しかし、ある火災現場の映像がその後の人生を変えた。1972(昭和47)年に発生した大阪・千日前デパートの火災。「同じ関西で起きた大惨事でテレビの映像は衝撃的だった。その時、消防隊員の懸命な消火活動を見て救命への意識が芽生えたという。そんなとき、同市の広報で消防職員募集の文字を見て応募、同年採用された。
消防隊員、現在の救助隊にあたる機動隊隊員などを経験。救助の技術訓練指導を担当していた1991年、上司に呼ばれ「君には勉強してもらわなあかんなあ」という言葉をかけられた。その「勉強」とは、同年発足する「救急救命士」の資格取得のことだった。
救命士資格取得を目指し、全国から東京に60人が集結。奈良県からは、ただ一人参加し、同県第1号となる救急救命士となった。「救急の高度化とともに県内でただ1人の救命士として先陣を切ったが、前例もなく苦労の連続だった」と当時を振り返る。
だが、県内である程度の救命士が集まった1999年には、各消防本部の域を超えた勉強会「NEPPA(熱波)の会」を立ち上げた。メンバーには県立医大教授らも名を連ね、常に救急に対する“熱い思い”をぶつけ合い、今では会員数約300人を超えるほどに。「奈良県が一つになれた」と実感したという。
後に、同消防局中央消防署副署長、同局次長などを歴任。2009年4月の同局長就任後は、これまでの経験を生かし、情報救急室の強化を図るなど迅速・的確な救命システム確立に尽力した。
退職を前に、後輩たちに向けて次の言葉を残す。「消防を志し決意した思いは長い時間の中で慣れてしまう。それが悩みや不安に変わることもある。しかしそれは、自分で解決しなければならない。その糸口は『初心』にあると思う」
そして、どんなときも支えてくれた妻には、いつも手を合わせる思いだという。「妻はこの40年、毎日弁当を作ってくれた。仕事柄、弁当を食べるのが早いときも遅いときもあった。だけど、どんなときに食べても『最高の味』だった」と照れくさそうに語る。
そんなさまざまな熱き思いを胸に今日、40年の消防生活にピリオドを打つ。