奈良を拠点に活動して7年目、今年5月中旬に公演千回を突破したマジシャン「ジャスパー瀧口」さんは、さらなる飛躍に向けて意気込んでいる。
撮影前には身だしなみも整えて?最近は抜け毛も気になっているとか…
現在は、小学校や幼稚園、保育園、ボランティアも含めて年間約180公演をこなすジャスパー瀧口こと、瀧口眞一さん(43)。舞台上では、コミカルなマジックで客を笑顔にする瀧口さんの半生は、何をやっても中途半端な挫折ばかりの人生だった。
奈良市生まれ、奈良育ちで高校卒業後、料理人を目指して飲食店で修業するが「根性が無く」長続きせずに店を転々としていたという。そのうちに料理人の道を諦め、22歳の時にメジャーデビューを目指してバンドメンバーを集めてから、自身もドラム教室に通ったが「才能がない」と、1年もたたずに挫折、バンドの発起人にもかかわらず一番に脱退した。
次に目指したのは漫画家。作品を描いて編集社に売り込み、「絵は下手だが発想はいい」との評価を受けて上京するも、また「才能がない」と諦めて半年ほどで帰郷。その後は、派遣のバイトで生計を立て、結婚を意識した彼女もできて順風満帆な生活。一生このままでもいいと思っていた矢先に彼女に振られた。
その失恋のショックから引きこもり状態になり、眠れず、飯も喉を通らず、仕事も辞め、「死んでしまおうかな」とまで考えたこともあったという。何もしないまま月日が過ぎたある時、友人からイベントで子どもたちの誘導役をやってほしいと言われ出向くことに。
子どもたちの気を引こうと、趣味でやっていたマジックの道具を持って行ったところ、「おっちゃんすごい」と人気を集めた。「子どもたちに助けられた」と瀧口さん。無邪気な子どもたちとの触れ合いを重ねて笑顔に力をもらい、少しずつ立ち直っていった。
それから7年ほどたち、新しい職場の同僚から「児童福祉施設でマジックをやってあげて」との声を受けて、自ら施設に申し出てショーを行った。その時に、子どもたちから贈られた「マジックを見せてくれてありがとう」などと書かれた感謝の手紙が瀧口さんの人生を変えた。
「何をやっても駄目な僕が、人に喜んでもらえることができるなんて」と手紙をもらった衝撃は今でも忘れられないという。2004年、36歳の時だった。今でも、子どもからの手紙はファイリングして大切に持っている瀧口さん。「普段は笑顔を見せない子も満面の笑顔で見ていたと言ってもらえたこともうれしかった」と話す。
手紙が後押しして「こんなに喜んでもらえるなら違う施設でも」との思いから、さまざまな福祉施設などに慰問に行くようになった。ボランティアで子ども会や保育園なども回るようになり口コミから依頼も増えるようになって、場数を踏んで独学で今のパフォーマンスを確立していった。
知り合いのプロマジシャンから「プロとしてやったらどうだ。後はない。やるなら今しかないぞ」と勧められ、38歳の時にプロとしての活動を決意。今では、子どもに喜んでもらえるように、分かりやすさや掛け合い、ツッコミに対する返答などを大切したマジックショーを披露して、奈良を中心に関西で活動する人気マジシャンに。現在も事務所に所属しないのは、気軽に呼んでもらえるように出演料を安く抑えたいとの思いからだ。
瀧口さんは、「ショーを見てくれた子どもたちが大人になって、子どもができて、親子2代で楽しんでもらえるようになることが目標」と笑顔を見せる。
勉強駄目、運動駄目、モテない、何をやっても駄目だったという瀧口さんが、プロマジシャンとして一人前になったのも、人とのつながりを大切にしていたから。マジシャンになってから「うれしいことばかりでつらいことは無い」と瀧口さん。最後に「感謝の心を常に持って。皆さまに感謝」と締めくくった。